追悼録#4~世界で一番きれいなのは?~

「世界で一番きれいなのは?」
「わたし~」
二番の名前は、日々変わったけれど、一番は必ず「わたし」

「わたしってきれいでしょ?」が口癖の、明るく、ガッツがあって、言いたいことをはっきり言う、田舎のしがらみとは無縁の大伯母でした。
あの時代、女性で大学まで出て、パリに絵の勉強に行って、やりたいことはやるという性格。

享年89歳。大往生だったと思います。

大伯母は、兄弟の中で一人故郷を離れ、横浜で暮らしていたため、藤沢に住む私とはたまにランチをしたり、お茶をしたりする関係。

私が出産した時は、年賀状片手に知らない人に道を聞きながら、うちまで来てくれました。

「ゆみちゃん、あんた、子供には〇〇しやなあかんで!!」と一方的に意見を押し付けられ、「子育てしたことないくせに…」と苦手に思ったこともありました。

そんな大伯母が認知症を患っていると知ったのは、数年前。

私が家を訪ねても、何度も同じ話をするようになり、歩くのが遅くなり、横になっていることも多くなりました。

大伯母を毎日一生懸命に支えてくれたのは大伯父です。「俺が最期まで見る」といって、それこそ下の世話まで。大伯父は言わないけど、しんどいときも、いらいらすることもあったと思います。それでも頑張って頑張って、、、

いまからちょうど一年前に限界が来ました。

ついに体調が悪くなった大伯母が入院することになりました。

直接の原因となった病気はすぐ治ったのですが、そのことで食事を一切取らなくなってしまったことが大きな問題でした。

病院では、ゼリーのようなものを食べたり食べなかったり。大伯父と一緒に先生から延命治療の説明も受けました。

最愛の妻が命の危機にあるということを受け止めきれない大伯父には、酷な時間だったと思います。去年のちょうど今頃には、最期の時間をどこで過ごすかという決断を下すことに、大伯父と私、右往左往でした。

大伯父の希望は、とにかく大伯母のそばにいたいということ。当時コロナの感染者数は落ち着いていたものの、病院や多くの介護施設では面会制限がありました。大伯父宅の近く、横浜でもいろいろさがしましたが、大伯父大伯母がずっと一緒にいられて、かつ、また食事をとれる可能性を探れる場所は、私の知る限り、藤沢のぐるんとびーしかありませんでした。

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いろいろ悩んで、いろいろ揺れて、とんでもないわがままをたくさん言って、ぐるんとびーにお世話になってから、大伯母は奇跡の復活をしました。

工夫して作ってくださったフレンチトーストをたいらげ、冗談を言って笑い、歌を歌い、子供を可愛がり、大伯父が来てくれるのを楽しみに、毎日を過ごしました。

ステーキを食べたり、ビールを楽しんだりすることもありました。

そんな大伯母の笑顔を見るのはとても嬉しかった。

もちろん、日々はそんなキラキラした部分だけではなく、遠い距離を通わなければならない大伯父の苦労、そこからくる不安と私への不信。私自身、もう関わるのをやめようかと思ったこともたくさんありました。大伯父も私も悩むことも多かったけれど、そこにも寄り添ってくれるのは、スタッフの皆さんでした。

それも、関わるすべての方が、スタッフとしてではなく、人と人として関わってくれたことがとても嬉しかったのです。

今月に入っていよいよ食事を取れなくなり、最期に向かう大伯母。数日前から大伯父は泊まり込ませていただきました。

「ありがとうな」「大好きだよ」「愛してるよ」と大伯父からの愛のシャワーを浴びながら、自分の力を見事に使い切って、大伯母は逝きました。

亡くなったときいて、これから何をしなきゃいけない?!と気を張っていた私が、ほっと安心して涙が出たのは、これまで支えてくださったぐるんとびーの皆さんの顔を見た時でした。

大伯父にお別れの覚悟をする時間と皆さんとの関わりを与えてくれ、私には仕事をしながら生きてきた女の底力を見せてくれ、周りの皆から愛された大伯母は、偉大な人だったのかもしれません。でもやっぱりおもいだされるのは、若い頃のちょっと意地悪な、ニヤリとした笑顔。

私にとっても忘れられない日々でした。

おばちゃん、本当にありがとう。

いままで、お疲れ様でした。

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にしざわゆみ司法書士事務所
司法書士 西沢優美
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追悼録 ♯3 ~さみしいと言った人~

結局亡くなられるまでに、片手で数えられるくらいしか
会うことができなかった。

どんな人生を送ってきたんだろう。何を望んでいたんだろう。
何が好きで何が嫌いだったんだろう。
いまでもわからないことだらけだ。

初めて会ったのは、入院されている病院の相談室。ある日救急搬送され、そのままどんどん認知症が進んでしまった。家族もなく、唯一関わってくれたご兄弟も高齢で、入院費の支払いもできず転院先を見つけられず、病院のソーシャルワーカーさんも、地域包括支援センターの方も頭を抱えていたところ、私が関わらせていただくことになった。

なにかを必死に訴えかける目。でも会話はどうにも脈絡を持たなかった。
裁判所に後見開始申し立てを行うことになった。

コロナ禍で入院中は面会禁止。その後にゆっくり話せたのは、病院を退院して施設に移動するときだった。

「今日は調子がいい」とおっしゃって少し会話ができた。
「さみしい」「この先どうなるのか」と切実に訴えられる。
「今日は病院を退院して施設に引っ越しです。これからはご兄弟も私も会いに行けるし、病院よりもゆっくりと生活ができます。何も心配ないですよ。」そう伝えるとすこしほっとした顔をされた。

これが唯一の会話らしい会話。
次に施設を訪ねてお話してもやはり脈絡はなかったり、体調が悪かったり。施設に入居されてから旅立たれるまでは一か月もなかった。

一人見送るたびに、もっと他にできることはなかったか考える。
あのとき少しでもほっとしてくださったのであれば、それが私にとっての救い。
でも、本当はもっと前に出会いたかったな。

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おもいやりが循環する社会へ

 

先日、承継寄付診断士講座を受講してきました。
承継寄付診断士とは、簡単に言うと「遺贈寄付の専門家」です。

遺贈寄付とは、遺言を書いておいて、相続する財産の中から寄付をして自分の思う社会貢献をすること。財産の一部、少額からでも自由に行うことができます。

特に、おひとりの方、子供がいない方は、今まで築いてきた財産を将来どのように残すのがいいのか、その選択肢の一つに「寄付」を検討される方は意外と多いのです。

ご本人の意思を、法律的にも税金面でも問題なく、確実に実現でするためには専門知識が必要だと思って、この講座を受けてみることにしました。

講座を受けてみて一番可能性を感じたのは、遺贈寄付が社会とつながるきっかけになるんじゃないか?ということです。ご自身の生きてきた軌跡である財産で将来誰かが救われ、それを実感することで、幸せを感じる方がいるんじゃないかなと思いました。

「自分の家のことで将来親戚に迷惑をかけてはいけないから
行き先を決めておかなきゃと思って・・・」

「特に残したい人がいないから寄付でもしようかな。
寄付先はどこでもいいよ。」

そんな思いで相談に来てくださる方が、自分で応援したい団体を選んで、どんなふうに使われるかを知って、感謝をされることで、少しでも前向きな気持ちで遺言を書けるんじゃないかなと思いました。

そして、それが実際に社会をよくしていくために頑張っている団体を救うことになったら、こんなに素晴らしいことはないんじゃないかなと思いました。

どのように寄付先を決めるか?
法律的・税務的に問題がないようにするにはどうしたらいいのか?

なんとなく寄付をしたいな~と思っても具体的にどうしたらいいかわからないときに、専門的な知識をもってアドバイスができるのが承継寄付診断士。

しっかりみなさんをアドバイスできるように、勉強をもう少し続けてみようと思います!

おもいやりが循環する社会へ🌈

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事務所移転のお知らせ

 

このたび、事務所を下記住所に移転いたしました。

<新事務所>
〒251-0054 藤沢市朝日町15番地の2
電話番号 0466-29-1155
※電話番号は変わりません。

ゆっくりとお話しいただける、居心地のよい場所にしていければと思っております。
より一層皆様のお役に立てるよう、精進してまいりますので、
今後ともどうぞよろしくお願いします。

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お引越し~40年住んだ家を引き払うということ~

「家に帰りたい。」

一年前、彼はいつもそう言っていた。急に体調がわるくなって、大事に手入れをしながら暮らしてきた家をそのままに、それこそ、着のみ着のままで離れることになってしまったのだから無理もない。

自宅での一人暮らしは無理だと周囲に判断され、彼自身の納得のないままにあれよあれよと介護施設で生活することになった。わたしが初めて彼に出会って財産管理や身の回りのいろいろなことをお手伝いするようになったのは、そんな頃である。

「家に帰りたい。」

だけど、実際家に帰るとなると様々な困難が伴うこともわかっていた。
一人暮らしで転倒してしまったら?けがをして取り返しのつかないことになったら?その不安は、彼自身も私も感じていた。

でもだからといって、その不安をなくすために、生きる希望を捨てられるだろうか?

電動車いすで自由に出かけたい。
好きなフルーツを好きな時に食べたい。
お金の出し入れをきちんと確認したい。
趣味のモノづくりを通して生活を豊かにしたい。

どれも人として当たり前の希望だ。安全か?自由か?そんな二者択一は酷すぎると思った。

「どこでどんな風に暮らすのが一番いいだろうね。自由と安全のバランス、ちょうどいいのはどこだろう?」
いろんな選択肢を吟味して、対話を重ねて一年とちょっと。いまは新しい場所で、安心して満足できる暮らしができるようになった。電動車いすで買い物に出かけ、好きな食べ物を買ってくる。不自由な身体でもすぐに手が届くように、あらゆるものを車いすにぶら下げて。ここでは、常に気にかけあえる人たちがそばにいて、もしもの時も安心だ。

ここまできて、彼はついに、これまで空き家になっていたもともとの自宅を引き払い、家財を処分する決心をした。時間はかかったけれど、この時間が必要だったんだろうなとも思う。

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すっかりきれいになった家をみて、ほっとしたような、さみしいような、次のステージに向かう希望のような、何とも言えない気持ちになった。

40年住んだ家。玄人はだしのDIYを施した部屋。手作りの机や棚。愛着を持って集めた工具。一つ一つに思い出があって思い入れがある。どんな気持ちで決心されたんだろう。次の暮らしに向けて、相当な覚悟だったはずだ。その覚悟に応えて、私はこれからも彼の人生に寄り添っていく。

「西沢さんはボクにとって親みたいなもんだ」と言ってくださっていたらしい。私が親??!驚いたけれど、確かに口うるさいことも言っちゃうもんな(笑)家族のような存在になれたことが最高にうれしい。そして改めて身が引き締まる思いだ。

いっしょにいろいろな選択肢を検討してくださった皆さん。日々生活をサポートをしてくださる皆さん。暑い中引っ越しを手伝って下さった皆さん。大量の家財を片づけてくださった皆さん。たくさんの支えがあって今がある。感謝の気持ちでいっぱいだ。

今、彼のまわりには、役割を超えて人として関わる人たちがたくさんいる。私もその一人。新しい日々も楽しみだ。

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